事務所案内・アクセス
はじめまして。
世田谷区三軒茶屋の「せたがや相続相談プラザ」(運営:フィデス世田谷司法事務所)の菅野修です。
誰しもが必ず一度は経験する「相続」。戸惑いや不安をお持ちになるのは当然のことです。みなさまに少しでも安心してご相談いただけるように、当事務所の紹介をさせていただきます。
世田谷区三軒茶屋の「せたがや相続相談プラザ」(運営:フィデス世田谷司法事務所)の菅野修です。
誰しもが必ず一度は経験する「相続」。戸惑いや不安をお持ちになるのは当然のことです。みなさまに少しでも安心してご相談いただけるように、当事務所の紹介をさせていただきます。
アクセスマップ
運営事務所
フィデス世田谷司法事務所
〒154-0024
東京都世田谷区三軒茶屋1-37-3
山本ビル601
東京都世田谷区三軒茶屋1-37-3
山本ビル601
03-5787-8290 受付時間 9:30〜18:30(平日)
※土日祝日や夜間のご相談を希望される場合は、遠慮なくお申し付けください。
三軒茶屋駅からの道順
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1. 三軒茶屋駅南口AB出口方面へ向かいます。
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2. 南口B出口から出ます。
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3. 正面にカラオケ館の看板があります。
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4. 道なりにまっすぐ歩いてくると左手に看板が見えます。
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5. こちらの6Fが当事務所です。
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6. 奥のエレベーターより6階へお上りください。
司法書士のご紹介
菅野修(かんの おさむ)
・フィデス世田谷司法事務所代表司法書士・東京司法書士会所属 登録番号第6594号
・簡裁訴訟代理関係業務認定番号第1101036号
略歴
1978年(昭和53年)生まれ明治学院大学文学部卒業
福島県会津若松市出身
都内の服飾メーカー・小売会社にて、販売職・店舗設計を担当。
司法書士試験合格後は、横浜市・都内の司法書士事務所での経験を経て独立。
得意分野は相続・遺言。
勤務時代を含め相談実績は1000人を超えるが、依頼者の要望や不安、悩みは千差万別。
法律上の解決はもちろんのこと、専門職が忘れがちな、依頼者が抱くあたりまえな不安や戸惑いに丁寧に寄り添える業務ができるよう努めている。
モットーは
「仕事は依頼者にはじまり依頼者に終わる。最初から最後まで依頼者の視点に立って」
プロフィール
出身地 | 福島県会津若松市。いまでも会津訛りが出ることがあります。 |
---|---|
住所 | 世田谷区。東急世田谷線で三軒茶屋に通勤しています。 |
家族 | 奥さんと子供二人。 奥さんは世田谷区の福祉職、子供二人はそれぞれ世田谷区の小学校と保育園に通っています。 |
趣味 | ギター ジャズ、フラメンコ、ロック、クラシック、なんでも大好きです。下手の横好きで、もう30年近くやっています。 読書 文学好きで、特に谷崎潤一郎や志賀直哉を愛読しています。系統が異なる二人ですが、ともに文章の美しさを極限まで追求した人だと感じています。 |
尊敬する人 | アウグストゥス(古代ローマ) 絶対に必要なことを、絶対にやり遂げる。 その意思をぶれることなく何十年も貫徹する。 常人の私には絶対にまねのできないことですが、ほんの少しでも見習えたらと思います。でも、理想の上司は上島竜兵さん(ダチョウ倶楽部)です。 |
自己紹介
はじめまして。司法書士の菅野修です。
当事務所のホームページをご覧いただきありがとうございます。
少し長くなってしまいますが自己紹介をさせていただきますので、読んでいただけたら幸いです。
出身地は福島県の会津若松市です。父が転勤族だったため福島県内を転々としましたが、小学校4年生から高校を卒業するまで会津若松市で過ごしました。夏は自転車で何時間もかけて猪苗代湖へキャンプをしに行き、冬は近所の空き地に雪を集めて作ったスキー場で真っ暗になるまで遊びました。中学に入ってからはバンドに熱中し、誰も知らないマニアックなイギリスバンドのコピー演奏に励みました。
高校に入ってからは、会津若松市近郊から集まる個性的な友達の様々な価値観に影響され、知らなかったことや触れたことのない世界を知る喜びに、あっという間の3年間でした。大学に入ってからは、当時の大学生には珍しくなかったことだと思いますが、学業そっちのけでアルバイトと遊びにいそしみました。大学の4年間、まったく勉強もせずに遊びとおしてしまったことは、いまでも後悔しています。ただ、奥さんと知り合えたことが何よりの宝でした。
やがて就職活動の時期になりましたが、当時はいわゆる就職氷河期。なんとか都内のアパレル会社に就職が決まり、社会人としての一歩を踏み出しました。
当時は洋服がとてもよく売れた時代で、特に雑誌で紹介された商品などには問い合わせが殺到、即日完売が珍しくありませんでした。仕事は毎日午前様の忙しさ、目が回るような生活の一方で、40代を前に会社を去っていく上司を多数みて、いつまでもこのままでいられるわけがないという、将来に対する不安が大きくなっていきました。
当時は、消費者金融やカードローンの借り入れが原因での自己破産や債務整理などが社会問題となった時期でもありました。この時期に「司法書士」という職業を初めて知りました。法律職というと弁護士ぐらいしか知らなかったのですが、「登記」や「簡易裁判所での訴訟代理」といった、より私たちの生活に身近な法律業務をこなしている職業ということで、当時の私にとってはかなり印象深かったです。
司法書士という仕事を知り、人の生活に楽しさを提供する仕事も大好きだけど、もっと人の生活そのものや悩みの解決に役に立ってみたいと考えるようになり、司法書士になることを決意しました。
ここからがつらい受験生活の始まりでした。正直言って、2度とあんな勉強漬けの生活はゴメンです。受験生活中に上の子が生まれ、何度もあきらめようと思いました。「これが最後の受験」と決めた5度目の受験で、ようやく合格することができました。
合格後は、横浜にある司法書士法人にはりきって入所しました。そこでは、相続・不動産売買の立会・会社の設立・訴訟など、本当に様々な経験を積ませていただきました。特に、所長の考えが「顧客を大事にすること」で一貫していたので、司法書士としての姿勢の最も大切な基本を学ぶことができました。中でも相続の仕事はとてもやりがいを感じ、「菅野さんにお願いするからには安心だ。」とおっしゃっていただけることが本当にうれしかったです。お客様の立場に立って仕事をすることが徹底できれば、本当に喜んでもらえる仕事なのだと実感しました。
当事務所のホームページをご覧いただきありがとうございます。
少し長くなってしまいますが自己紹介をさせていただきますので、読んでいただけたら幸いです。
出身地は福島県の会津若松市です。父が転勤族だったため福島県内を転々としましたが、小学校4年生から高校を卒業するまで会津若松市で過ごしました。夏は自転車で何時間もかけて猪苗代湖へキャンプをしに行き、冬は近所の空き地に雪を集めて作ったスキー場で真っ暗になるまで遊びました。中学に入ってからはバンドに熱中し、誰も知らないマニアックなイギリスバンドのコピー演奏に励みました。
高校に入ってからは、会津若松市近郊から集まる個性的な友達の様々な価値観に影響され、知らなかったことや触れたことのない世界を知る喜びに、あっという間の3年間でした。大学に入ってからは、当時の大学生には珍しくなかったことだと思いますが、学業そっちのけでアルバイトと遊びにいそしみました。大学の4年間、まったく勉強もせずに遊びとおしてしまったことは、いまでも後悔しています。ただ、奥さんと知り合えたことが何よりの宝でした。
やがて就職活動の時期になりましたが、当時はいわゆる就職氷河期。なんとか都内のアパレル会社に就職が決まり、社会人としての一歩を踏み出しました。
当時は洋服がとてもよく売れた時代で、特に雑誌で紹介された商品などには問い合わせが殺到、即日完売が珍しくありませんでした。仕事は毎日午前様の忙しさ、目が回るような生活の一方で、40代を前に会社を去っていく上司を多数みて、いつまでもこのままでいられるわけがないという、将来に対する不安が大きくなっていきました。
当時は、消費者金融やカードローンの借り入れが原因での自己破産や債務整理などが社会問題となった時期でもありました。この時期に「司法書士」という職業を初めて知りました。法律職というと弁護士ぐらいしか知らなかったのですが、「登記」や「簡易裁判所での訴訟代理」といった、より私たちの生活に身近な法律業務をこなしている職業ということで、当時の私にとってはかなり印象深かったです。
司法書士という仕事を知り、人の生活に楽しさを提供する仕事も大好きだけど、もっと人の生活そのものや悩みの解決に役に立ってみたいと考えるようになり、司法書士になることを決意しました。
ここからがつらい受験生活の始まりでした。正直言って、2度とあんな勉強漬けの生活はゴメンです。受験生活中に上の子が生まれ、何度もあきらめようと思いました。「これが最後の受験」と決めた5度目の受験で、ようやく合格することができました。
合格後は、横浜にある司法書士法人にはりきって入所しました。そこでは、相続・不動産売買の立会・会社の設立・訴訟など、本当に様々な経験を積ませていただきました。特に、所長の考えが「顧客を大事にすること」で一貫していたので、司法書士としての姿勢の最も大切な基本を学ぶことができました。中でも相続の仕事はとてもやりがいを感じ、「菅野さんにお願いするからには安心だ。」とおっしゃっていただけることが本当にうれしかったです。お客様の立場に立って仕事をすることが徹底できれば、本当に喜んでもらえる仕事なのだと実感しました。
フィデス世田谷司法事務所を開設
務めた事務所を退職し、独立いたしました。
(共働きで、家事・育児を協力してこなしている奥さんには、本当に感謝です。)
大学生のころから住み慣れた世田谷区の、長い受験期間中のアルバイト先でもあった三軒茶屋に事務所を開設しました。
奥さんは世田谷区の職員で、子供たちも世田谷区内の小学校・保育園に通っており、世田谷区のみなさまには、本当にお世話になっています。事務所経営者としては新人ですが、誰よりもお客様の気持ちに寄り添った仕事をしてまいります。
「フィデス」という事務所名は、ラテン語で「fides」=「信義・約束」という意味があります。地域のみなさまから安心して頼っていただける、そんな願いを込めました。なにか困ったことや不安なことがあったときは、真っ先に相談先として思い出していただける、そんな司法書士になれるよう今後とも努力してまいります。
(共働きで、家事・育児を協力してこなしている奥さんには、本当に感謝です。)
大学生のころから住み慣れた世田谷区の、長い受験期間中のアルバイト先でもあった三軒茶屋に事務所を開設しました。
奥さんは世田谷区の職員で、子供たちも世田谷区内の小学校・保育園に通っており、世田谷区のみなさまには、本当にお世話になっています。事務所経営者としては新人ですが、誰よりもお客様の気持ちに寄り添った仕事をしてまいります。
「フィデス」という事務所名は、ラテン語で「fides」=「信義・約束」という意味があります。地域のみなさまから安心して頼っていただける、そんな願いを込めました。なにか困ったことや不安なことがあったときは、真っ先に相談先として思い出していただける、そんな司法書士になれるよう今後とも努力してまいります。